中学三年生の頃だったと記憶しています。中高一貫教育の学校だったので、中高合同で体育会バドミントン部の合宿に行ったとき、クラブのOBで大学でフランス語を専攻している人がバドミントンの指導にきていました。
夕食の時だったか「田中、英語をちゃんと勉強しているか?」と聞かれナイーブに「ハイ!」と応えたところ、長文の英語を見せられながら「じゃあ、文中のa kind ofはどう訳す?」と続けて問い詰められ「『一種の』という意味ですか?」と応えたところ、「もう、お前は英語は諦めろ!」と諭されたことがありました。
この体験は、30年以上経った今でもかなり強烈に頭に残っていて、ことあるたび(つまり、英語の才能ないなあ、と思い知らされるたびに)トラウマのように鮮烈に蘇ってきます。その文脈では意味の無いまるで接ぎ句のようなものだと理解したのは高校に上がってからであったと、、、、
こういうのって、教えられて分かる人と、辞書で調べもせずに自然と理解できる人に分かれるのではないかと考えていて、僕は確実に前者であり才能はないなあと痛感し続けています。英語で他の例では、高校一年位の時だったでしょうか副読本でgivenという語が、接続詞(的)で「仮に~とすると」という意味が心底分かるのに数日かかりました。
高校受験とか大学受験の英語の勉強にこうした「感覚・センス」みたいな要素がどれだけ求められるのか知る由もありませんが、僕のように英語が不器用だからこそ不得意としている人の不得意な箇所が分かるという点もあると思います。それを活かして「かゆいところに手が届く英語」みたいな教材を作ってみたいと思うことがあります。もっと、歳をとってからのことになりそうですが、、、、
「かゆいところに手が届く英語教材」
そのような英語教材の開発を期待しています!
いざという時に、価格コムで調べられるのでとても心強く感じています。
ありがたいです☆
投稿: marie | 2006年12 月12日 (火) (02:59)