東洋大柏原、作新学院江川卓

今日の箱根駅伝で東洋大学は4年連続往路優勝を果たし、エース5区の柏原選手も区間新という輝かしい成績で自身の学生としての実績に華を添える結果となりました。但し、過去三年と違ったのは、彼がトップで襷を受け取ったということでした。「前に抜くべきライバルがいない状況でタイムはどうなるのだろうか?」とか最初は余計な心配をしていましたが、途中「区間新のペース」と聞き「凄い人だな」と感心、寧ろ過去三年よりも今年の彼の走りに一層の感動を受けたような気がします。

さて、東洋大学の陸上部の他の選手達からすれば「いつも柏原選手(主将)におんぶにだっこで申し訳ない」という気持ちもあったでしょう。また、あるいは「彼だけにメディアの注目が集まって面白くない」との思いだって無意識にでもあったかも知れません。そして、そうした中でチームを束ね全体のモチベーションを最高の状態にもっていかなくてはならない監督の立場からすれば、「5区に襷が渡るときに、なんとしてもトップで」という思いが非常に強かったのではないかと考えます。

きっと、このチームは何年経っても「信頼できる良い仲間」として関係が続いていくのではないでしょうか。一人のスタープレーヤーに頼らない、チームとしての完全なる勝利を得ることによって、「柏原選手のおかげだけではない、皆の力で(往路)優勝できた」という連帯感が永遠に分かち合えるのですから。

で、この東洋大学並びに柏原選手の活躍をテレビで観ながら、思い出したのが作新学院時代の江川卓投手が甲子園の決勝で土屋投手を擁する銚子商業に満塁から押し出しのファーボールでサヨナラ負けを喫したこと、そしてそれを題材に記事にしたスポーツ雑誌「Number」を30年以上前に読んだときのことです。

結論からいえば、今日の東洋大学、柏原選手とは逆のパターンです。甲子園に勝ち上がってくるまでも、そして甲子園での対戦でも「怪物 江川」への依存度は極めて高く、彼のみが様々に採り上げられチーム内は多少ギクシャクしていたという話です。雨でマウンドはぬかるみ、ボールは握り難い中、満塁でスリーボール、絶体絶命のピンチ。内野手達はマウンドに集まり「ここまで来れたのは江川のお蔭だから、最後は思い切り投げろ」と言われ、投げた渾身のストレートは大きく外れたボール。ゲームセット。

但し、その夜宿舎で行われた会では(雑誌記事に因れば)江川投手は終始最高の幸せを感じていた由。今まで、勝ち続けながらも、否だからこそ孤独を深めていった江川投手に、最大のピンチ(そしてその結果負けを喫する過程)の中で、チームメートとの(永遠に忘れられない程の)連帯を感じることができたという理由で。

学生時代のスポーツというのは、実績を残せば或いは勝利を重ねれば、もしかすると其の後プロ選手への道が開けたり、実業団で生活が保障されたり、オリンピック選手への可能性が高まるという、「その後の可能性」への希望、期待も確かにあるでしょう。然し、それ以上に、今その瞬間、それぞれにとって舞台は違えど努力の結果自分なりの最高の舞台に立ち、それまでの仲間との苦労や周囲のサポートを感じながらたとえ個人競技であったとしても「連帯」 "solidarity"を手にすることが最大の喜びなのかも知れません。

 

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