財政再建策

民主党総裁選挙を目前にして、候補者の「先生」方が、かつての党代表或いは前総裁詣でのようなことをしている風景がテレビのニュースを賑わしています。

東日本大震災の復興予算財源問題や今までツケを先送りにしてきた膨大な額の国債と向き合う中でどうやって国の収支をトントンにするか、換言すれば「増税」なのか「赤字国債の増発」なのか、最大派閥や鍵を握る党派の意見を聞かないことには総裁への道は閉ざされるというのが「理屈」のようです。

本来、現在の首相がもう少しイニシアチブを執って次期総裁候補が絞られるのが普通のような気がする一般国民からすれば、すでに一線を退いたかに見える或いは退いた方がよさそうな「大物先生」方が、キングメーカーとして亡霊のように復活する様には、「あ~あ、また昔と同じだ」と辟易とさせられ、新総裁が誕生した瞬間から国民との精神的な距離感は相当遠く、既にレームダック化しているのではないかと危惧を覚えます。

増税もしなければならない時期があるでしょう、また国債もかなり限られた範囲の中で増発も止むを得ない部分はあるでしょう。それを、政治家の人にも、霞ヶ関の官僚にも、ひょっとしたら国民にも「自分のこととして」捉える自覚と覚悟が求められているのだと思います。

いっそ、国会議員の「先生」方の給料や、国家公務員の給料や年金の一部を、かなり足の長い償還期限を設定してその期限がくるまでマーケットでは資金化できない「特別な国債」で支払ってはどうでしょう?若しかしたら民間人の給与だって一部そうしても良いかも知れません。そうした当事者意識の中で選挙時にも投票行動が求められる意味においては。

自分の老後がせめてプライマリーバランスをスクエアにしないと破綻するリスクがあると感じることで、孫子の代に過大なツケを押し付けるような施策をあるいはそうした政治家を選ぶことについて、思いとどまるよい防御になるのでは、と考えたりします。

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